しがなさが溢れていく

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【雑談】日常の話題選びに困る話

ブログの毎日更新をすると高らかに宣言してしまったがための弊害として、書こうと思う話題は見つからないこともない一方で、その話題が偏ってしまっていることに悩みを抱えてしまった。ということでそのことを話題にして、ちょっとだけ思うこと、すなわち自分語りみたいなものをさせて頂こうと思った。

 

話題選びというものは大きく捉えれば選択であり、選択ということはそれの対象となるある程度の規模を持った集合が存在しなければならない。どの親密度の他人とコミュニケーションをする上でその場に直接関係ない話、つまり雑談をしなければならない場面がある

その話題の選択の対象となるのは日常というか普段経験していることに他ならない。普段から仲の良い人達と会話する場面はどうにでもなるとして、ほぼ初対面の、言わば異種間交信を試みる上での話題の欠如が深刻であるということが、今回の記事で言いたいことの概要だ。

 

 

テレビのない生活

僕がここまで話題選びに困るようになったのは、もちろん年齢を重ねるに連れて交友する人の幅が広がっているのが一つの原因であるとは思う。特に小学校時代における僕の世界は家族と学校の人達とせいぜい習い事で会う人たちぐらいだったと思う。まあだからとりあえず学校で起きたこと、が共通の話題として安定していた。

それどころか、ある一定以上の規模の集団に属して生活する、というのが大多数を占めている現状があるから、知人以上の人たちとの話題選びに困ることは早々ないだろうと思う。いやまあ会話が続くかどうかはまた別の話として、だ。

 

問題は先程言ったとおりの異種間交信の場合だ。こんな時、僕はここ数年のテレビのない生活を反省することになる。別にテレビ番組を話題にしたいと僕が思っているわけではない。ただ、テレビで放送される内容は多くの人にとって常識として処理されていることをテレビを見なくなってから思ったのだ。

つまり、会話の要所要所で挟まれる俳優/女優、タレント、芸人、アーティスト……などといった人物名、印象的なCMの情報、宣伝された施設や商品の情報など、こういったものは話題そのものではないが、急に出てくる。登場人物の多い小説で、久々に登場した印象の薄かったキャラみたいなもので、作者の中では常識だが、読み手の僕には全く印象にない不思議な存在。そういったものに僕は最近良く出くわす。

 

テレビを見るという多くの人達がしているであろうことが欠けているため、僕の話題選びの候補は必然的に少なくなる。むしろ、相手に僕がテレビをここ数年見ていない人間であることが伝わると、相手の話題選びすら制限してしまうことになるのだから、結構テレビを見ているということは資本なのかもしれないと、不思議な考えを持つことになった。

 

量産型オタクと僕が勝手に思う人達

全くの共通項のない人達との話題選びに困っているという風にも捉えられる文脈なのだが、実はいわゆる同属性に分類される人たちとの話題にも少し困る部分が存在している。

まあ自分で自称することほどイタいことはないと自覚した上でだが、僕の趣味はオタクっぽい。だからそう、オタクっぽい人たちが集う環境ならば、気安く会話ができるのかと言うと、実はそうでもないということをちょっとだけ力説したい。

 

なぜなら僕は、至極オタクたちの中では一般的だと思われる、「今期何見てる?」に参加することが出来ないからだ。読んでいる人の中には、アニメが見れないのはテレビがないせいでは?と思うかもしれないが、それは違う。だってアニメを見る手段は今やテレビを見ることに限らないからだ。そう、僕はアニメを見るという行為に単純に惹かれていないからだ。

一応間違いの無いように先に言っておくけど、アニメオタクはオタクじゃない、と僕が言いたい訳じゃない。アニメを大量に見て、作品ごとに評価して、それはもう気持ちが悪いぐらいに詳しい人の話を聞くと、そんな楽しみ方もあるのかと感心するぐらいなのだから。

 

そうじゃなくて、いわゆる僕が勝手に量産型オタクだと思っている人は、話題合わせのためにとりあえず流行り物をオタクする人種のことだ(新たな造語)。僕はこういう人との話題がめっきり合わないのだ。

だって彼らは、聞いてて感心することを話したいとも、聞きたいとも微塵も思っていなくて、要は一緒に話せることを増やすためにそれっぽいことを見聞きしているのだから。

 

だから、僕はゲームが好きですという人たちが大概スマホゲーしかやってない上に、彼らの興味が一緒にやることにしかないことに悲しくなる。せめてそのゲームの面白いところを語って僕にインストールさせようとして欲しい。ただそう言うだけの代わりに。だからこそ、僕は面白いと思ったゲームなら脈絡もなくレビュー記事を書くのだから。

 

恋愛トークが重要視されるわけ

目次を見た瞬間、どうしてこんなにこの記事は脈絡がないと思ったかもしれない。けど、僕の中では全てつながっている。

 

所属している集団によるかもしれないけど、ネットで軽く調べた感じだと、恋愛トークが出来る派と出来ない派で大きな隔たりが出来ている印象を受けた。まあ確かに、色恋沙汰というのは母集団に密接だから盛り上がりやすい、というものあるけど。それだけではない場面で登場するらしい。よく出てくるということは、多分盛り上がるのだ。

 それは何故か。僕の思うにそれは、真剣に考える経験が誰にでもあるからなのだ。恋愛というのは紆余曲折を経ることにはなるけど、結局結婚というものに派生し、言ってしまえば人生の半分を左右しかねない要素なわけだ。まあ人によって捉え方は違うにしても、流行ってるからやることではない……と僕は思う。

 

聞く機会は少ないけど、どんなことでも真剣にやっている人の話は面白い。これが僕の通して言いたかったことだ。でも実はこれ、聞き手にも相当の負担を強いる行為でもあるのだ。だって知らないことを聞かされるのだから。そこに話しの上手さとかそういう要素が加わるのだと思う。

だから、人間関係という誰もが知らないでは済まされないことを話すことになる恋愛トークというのは面白く聞こえると思う。いやまあ生理的に無理な話題とかはその限りではないけど。

 

知らない人向けの言葉を覚えるか、話題を覚えるか

で、結局僕が困っている以上はきっと話題を増やすための努力をしなければならないのだけれど、もう一つの解決方法がある。知っていることを知らない人に十分伝えるための言葉を覚えることだ。

そう、僕が話題選びに困る他のタイプの人に勧めたいのが、色々な言葉を覚えることだ。勧めたいと言うけど、僕にもそんな能力はない。でも、ネットには沢山そういう記事が書ける人がいて、僕はそんな人達に憧れてやまない。だから頑張ってなにかをおすすめする記事が書けたらなぁなんて思いながら今月の毎日更新のモチベーションにしていこうと思うのだった。

 

 

今回はここまで。お読みいただきありがとうございました。

 

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