しがなさが溢れていく

自己顕示欲に向き合うタイプのブログです

【雑談】浪人するということ

ブログ開設から1年を記念して、このブログ最大の自分語りをさせて頂きたいと思った。僕は仮にも大学生活をそこそこに過ごしてきた人間としてなにか書けることはないかな、と思ったとき、タイムリーな話題として大学受験があった。

単刀直入に書くが、僕は1年間の浪人経験がある。今や僕にとってはいくつかある思い出話の一つに過ぎないことだけれど、当時の僕にとってはそれはもうある種の絶望に近いイベントだったかもしれない。だからこそ、浪人するってどんなことなのかということについて、僕なりに書かせて頂ければな、と思う。

予め断っておくけど、どうすると成功しやすいかなんてことを書くのは毛頭なくて、どちらかというと自分はどんな状況にあるのかを認識する、気分を整えるためだけの記事になると思う。

 

 

浪人する理由

もちろん直接的な理由は人によって違う。合格した大学がなかった人。本当に行きたかった大学を諦めきれなかった人。自分の意志じゃなくて浪人することになる人もいるかも知れない。僕は比較的浪人経験のある人が周りにいたこともあって、現役の時は一つの大学を除いて受験しないことで自ら退路を断ったようなものだったけど。

でも、僕がこれから書くことをどんな人に向けて書くかというと、自分で行きたい大学を決めた結果、浪人した人だ。自分の行きたい大学に合格出来なかった理由にも、もちろん勉強不足だってあるだろうし、その日のコンディションの問題だったということもあるかもしれない。でも、共通して心の根底にあるのは、「自分はこんなものじゃない」という認識だと思う。

 

もちろん、これはとても上から目線な認識だと思う。でも、志望校選びなんてそうじゃないかとも思う。今までの自分の人生経験から、僕はこの大学に行くべきだろう、とか。どうせ大学に通うならこのレベル以上の大学に行きたいとか。どうせ浪人するのなら、それぐらい正直になった方が楽だと思う。

でも、結局理由は様々にしても、浪人するのだから、お目当ての大学からは入学を認めてもらうことは出来なかったというのも事実。だから、今一度このタイミングで、自分はどうしたいのか、ということを考えてみて欲しいと思う。

 

今回の入試は不当な結果だと思うのなら、上を目指してもう1年頑張るもの良いと思う。入試の結果を受け入れて、自己認識を改めて継続して同じ大学を目指したり、もう少し視野を広げるのも良いと思う。

多分やめた方が良いと思うのは、浪人するのだからなんとなく志望校を1ランク上げておこう、という考えだ。僕はそうした。でも、成績は追いつくことはなく、結局現役の時に行こうとした大学に直前で志望を差し替えたことに繋がったのだから。

 

そして、浪人する人には、変なプライドがある可能性が高いことも気にかける必要がある

 

わからないことをわかるようになる

〇〇大学を志望する自分にとっては、これぐらいはわかって当然だろう。 そういう認識があることが多いと思う。いや、正直に書くなら、僕にはあった。だからこそ、“そんなこと”がわからないことを認めるのが嫌だったし、“そんなこと”に関してはわかったフリをすることに繋がってしまう

 

もし僕が浪人することなく、「偶然」第一志望に現役合格を成し遂げていたとしたら、僕はわかったフリをし続けて、大学生活のどこかで、大きな躓きを経験することになっていたと思う。だってそこにいるのは〇〇大学に現役合格した僕、なのだから。

いや、そんな認識ないよ、と感じる既に浪人を心に決めているような人は、僕より随分精神的に成長している人だから、きっと浪人生活での勉强もうまくいくと思う。

 

僕は不合格だったことがそれなりに心に響いて、「もしかして予想以上にわかってないのでは?」という疑問があった。だから、かなり初歩的なところから勉強し直したところ、本当にわかってないことがわかったし、そのおかげでそれなりに成績が向上した……と思う。

だからもし、入試なんてその日の運だ、と思っている人は(まあそれも一理あるけど)、実は本当にわかっていない可能性があるのでは?と疑うことはしてみても損はしないだろう。

 

浪人の1年は無駄なのか

もちろん、浪人はしない方が経済的にも、精神的にも優しいというのは間違いない。でも、果たして無駄なのかというと、それはなんとも言い難いところなのだ。

 

いやまあ正確には、今までの人生でおそらく最も得たものが少ない1年になるのは間違いない。浪人生活で手に入れるものの大半は、手に入れているはずだった知識がほとんどのはずだ

でも、実際に浪人を経験して、大学を卒業しようとしている僕は、浪人期間は確実に今の自分の形成に影響していると感じている。直接的なことを言えば、浪人していなければ今の同期は後輩で一つ上の先輩は同期だったはずだ。間接的なことで言えば、今まで書いた自己認識に関わる部分で、この経験は欠かせないものだ。

 

かと言って気楽に構えられて、もう1年なんてことはさらに経済的にも精神的にも優しくはないから、ちょっとは深刻になったほうが良いとは思う。むしろ不安の方が大きい。僕だって二度目の入学試験の前日は、当日の午前3時まで緊張で眠ることが出来なかったし、布団に入ってからの数時間は人生でも最低クラスの数時間だったと断言できる。

 

しかし、絶望しすぎて自暴自棄になったり、自分を甘やかして高慢になったりすることは、おそらく世に言われる浪人することの悪い側面をフルコースで堪能することに繋がると思う

浪人という経験が、自分を出来るだけ正確に認識するきっかけになると良いと思う。まあ僕みたいな大した人生経験のない未熟な人間が何を偉そうに、という感じがすごいけど。でも、このブログの題材的にも、ちょうど気になってくる人が読んでいるような気がするとも思うから、ちょっとだけ先輩ヅラをして、大学生の思う浪人への認識というのをちょっと紹介したいな、と思った。

 

結局は勉强をするのが浪人生活で求められる最重要事項であることは間違いない。でも、きっと僕が若いうちに気がついて入れば浪人することがなかったであろう、勉強以外の何か、を認識するきっかけにもなった。

だから、絶対に僕みたいに考えろ、とは思わないけど、大学に不合格だった、という事実から勉強以外になにかを得る人がいたらいいな、と思う。そしてこんな考えもあるんだな、程度でいいから浪人という事実に悩んでいる人に届けばちょっとだけ嬉しいな、とそれっぽい美談のふりをした自分語りを終わりにしたいと思う。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

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